自己紹介①
僕の簡単な自己紹介はPROFILEページに載っていますが、今回はもっと詳しく書いていこうと思います。
タイトルの
「自己紹介①」
をみて感づいたかもしれませんが、このシリーズ、続きます。
僕に少しでも興味のある人が読んでいると思うので、ぜひこれを機に、より「中村シュート」を知ってください。
そして応援していただけると幸いです。
では。
1996年、アメリカのミシガン州にあるデトロイトで生まれました。
初っ端からイカつい経歴です(笑)
当時は親の仕事の関係でアメリカに住んでおり、僕が生まれて約1年で帰国します。
なのでアメリカの記憶は全くなく、当時の写真を見て「本当にアメリカにいたんだな」と驚いていたほどです。
この時の人生においての幸福度のようなものを評価基準として書いていこうかなと思っています。
100が最高に幸せな状態として、生まれて1年間を50点としときます。
帰国後は実家のある広島に住んでいました。
広島の市内から少し外れたところで、かなり住みやすいところでしたが、印象で言うと「田舎」でした。
今の実家に引っ越す前は、家の前の道で近所の子供たちと遊んでいた記憶がうっすらとあります。
それ以外では、隣の家のおばちゃんからガムをもらっていた記憶があるくらいです。
そしてまだ幼い時に今の実家に引っ越しますが、場所はほぼ変わらず。
家にたどり着くまでに長い坂道が続く山の上の住宅地になったくらいの変化です。
正直なところ、引っ越してからも生活は変わらなかったような気がします。
近所の「お兄ちゃん」とサッカーして、野球して、秘密基地を作って、泥団子作って。。
そんな、ザ・子供みたいなあそびばかりしていました。
ただ、小学校が近くなく、バスで通っていたので家の近くの小学生たちとあまり仲良くなかった覚えはあります。
小学校ではかなりやんちゃでした。
多くの学生がバスで通っていたので、行きしに騒ぎすぎて何度も苦情が寄せられていました。
その都度親に叱られ、学校に一緒に謝りに行ってました。
生徒を泣かせた、ゲームを持っていった、騒ぎすぎ、そんなことでしょっちゅうお母さんと謝りに行った覚えがあります。
ただ、小学低学年はサッカーがうまかった僕は、かなり楽しかった思い出しかありません。
いわゆる人気者で、僕が左と言えば左でしたし、右と言えば右みたいな生活をしていました。
この時の幸福度は90点くらいだったんじゃないでしょうか。
そんな人生最高なシュート君にある日、大ニュースを告げられます。
「オーストラリアに住む」と。
聞けば約5年くらい行くと。
当時3年生でしたが、まだその時の記憶は残ってます。
大泣きでした(笑)
子供ながらに、人生の分岐点にいる気がして、絶対に行きたくないって思ってました。
まぁ、僕に聞かさせたのはほとんど引っ越しが決まったタイミングでしたが。
そこから小学4年性になるタイミングでオーストラリアに引っ越します。
とりあえず、今回はここまでにしておきます。
読んでくださり、ありがとうございます。
次もぜひ。